本文へスキップ

「観光アシスタントひろしま」は広島を心から愛する人たちが自主的に運営しているボランティア団体です。

電話でのお問い合わせはTEL.090-1688-4932

〒730-0036 広島県広島市中区袋町6-36(BOX45)

初の近世城郭の登場【広島城址で城郭を散策】

 



地の利を生し広大な地形に古制を残した近世の城郭



城郭は三角州地帯のほぼ中央部にあり、内堀、中堀、外堀と太田川下流を天然の堀として広大な城下町を形成しておりました古くから水の都とも呼ばれ河川、堀などが街並みの形成、広島城を中心に、東西には大阪と博多を結ぶ西国道を、交通と商業に大きな役割を果たしておりました。戦国時代の終焉を迎え、それまでの籠城戦が優先の山城から平城へ、大兵力を収容できる広大な城内、「近世城郭」の登場。での防衛力を八カ国112万石の太守毛利氏の居城としては、当を得た城郭といわれております。


二の丸の重要なお役目は

城郭の中で二の丸は本丸に次ぐ重要な郭(くるわ)です。二の丸の建物は表御門、御門橋、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓、西側塀があり、それぞれ重要な役目があります。現在の建物は、当時の図面により復元されました。また、本丸などとともに史跡指定され法的に保存の対象になりました。

 【表御門】広島城を守る攻守の要の1つであり、二の丸への玄関口です。右側には平櫓も設けられ、広島城への侵入を防ぐ他、有事の際すぐ出撃できるように備えられていました。平櫓から横矢で狙い表御門でくいとめる役割を持っていました。


 【二の丸】二の丸は「馬出(うまだし)」としての性格を持っており、これが特徴の一つとなっています。「馬出」とは、郭への入り口である「虎口」を敵の攻撃から守り、味方の兵士の出入りを確保するためのものです。


 【多聞櫓】櫓は城を守るため欠かせない建物でした。平櫓が長くなったものが多聞櫓で、本来土塀あるところを長い櫓にすることで防御性を高める目的で造られました。そこには「矢狭間」「鉄砲狭間」が相互にあります。


 【太鼓櫓】太鼓櫓は特殊な櫓で全国のどのお城にもあったようです。時報のための櫓で太鼓が打ち鳴らされた場所です。藩士の登城の合図のためや、門の開閉などを太鼓や鐘で知らせたようです



中御門は何故か曲がっている

中御門の跡、本丸と二の丸をつなぐ、本丸の入り口にあたる門です。堀に対して曲がっており、敵兵が入ってきたときに防御しやすいような仕掛け(専門的には枡形:ますがたと言う)がなされています。出入口が桝形になっています。お城の出入り口(虎口)の小さな広場を石垣や土塁で囲んだものを「桝形」といいます。まっすぐに進めないようにわざと直角に折れ曲がっているので、敵が攻め込んでいた時に勢いよく前に進めません。

 【中御門二の丸から本丸へ続く中御門があった場所です。中御門も二の丸の表御門と同じ櫓門でしたが、より防御力を高めるため、扉に鉄板を打ち付けた「鉄御門(くろがねごもん)」となっていました。被爆により喪失しましたが、壮観な櫓付の御門でした。


 【中御門】原子原爆で焼けたため、現在門があった位置の両側の石垣は赤色が目立ちます。二の丸に残る石垣をよく見ると、所々にフジツボやカキ殻が付着している石があります。このような石材から 海沿いの岩場から運んできたと思われる証しが残っています。



広島城内の様々な石垣が

本丸と二の丸を合わせた石垣は、全部で
31,781個。 自然の石を組み合わせた「野面積み」を採用し、ノミで削った筋状の跡も見られる。 海岸にあった石を使ったので、付着したカキの貝殻跡がくっきり残っている。 さらに北側にある石垣には、刻印のようなマークも刻まれていた。 これまで214個は確認されているが、誰が何のために刻んだものか不明です。築城した毛利輝元、その後の 福島正則、様々な石垣が窺えます。が修復を試みた、崩れかけの石垣もある。

 こちらはSample-01のテキストです。PC表示の際は画像の右側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。


 こちらはSample-02のテキストです。PC表示の際は画像の左側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。



広大な内堀と外堀を散策

春一番が吹くころ(2月末~3月)、縮景園の木々たちは寒かった、、、さくらに続き「ツツジ」「ボタン」「アヤメ」・・・が順番待ちのように舞台の上に登場し、この時期来園者に千紫万紅のごとく飽きることなく咲き踊ります。

 こちらはSample-01のテキストです。PC表示の際は画像の右側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。


 こちらはSample-02のテキストです。PC表示の際は画像の左側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。















 こちらはSample-01のテキストです。PC表示の際は画像の右側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。


 こちらはSample-02のテキストです。PC表示の際は画像の左側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。



冬は無限の静寂...

春一番が吹くころ(2月末~3月)、縮景園の木々たちは寒かった冬の空気から春風に誘われて順次目覚めていきます。南からの春風が濯瓔池の水面を通して木々たちに春の訪れを告げるのでしょうか。一番早い開花は入園して右の広場にある「みもざ」です。3月から4月にかけて小さな房状の黄色い花を咲かせます。縮景園の春の主役はなんといっても「さくら」です。河津桜に始まりソメイヨシノの満開に咲く姿が濯瓔池に映り、夜桜はまさに写真映えする幻想的な空間になります。広島の「さくら」開花宣言の標本木があり3月20日頃のようです。さくらに続き「ツツジ」「ボタン」「アヤメ」・・・が順番待ちのように舞台の上に登場し、この時期来園者に千紫万紅のごとく飽きることなく咲き踊ります。

 こちらはSample-01のテキストです。PC表示の際は画像の右側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。


 こちらはSample-02のテキストです。PC表示の際は画像の左側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。


 こちらはSample-01のテキストです。PC表示の際は画像の右側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。


 こちらはSample-02のテキストです。PC表示の際は画像の左側に配置。画面幅が600px以下になると画像の下に配置します。







ご参考「縮景園」マップ








ご参考「縮景園」関連URL


縮景園=>トップページ | 縮景園

広島県立美術館=>総合ページ

縮景園=>縮景園 | 【公式】広島の観光・旅行情報サイト Dive! Hiroshima

ナビゲーション